丹沢主稜

檜洞丸−蛭ヶ岳−丹沢山−三ツ峰

蛭ヶ岳山頂にて


【行程】 8/18(金)曇り一時雨[たまプラーザ5:02=(東急・小田急)=新松田6:25/6:35=(タクシー8100円)=箒沢公園橋7:05/7:14−板小屋沢ノ頭8:40−檜洞丸10:32/10:40−金山乗越11:06−臼ヶ岳12:08−蛭ヶ岳13:11/13:20−不動ノ峰13:58−丹沢山14:37/14:45−円山木ノ頭15:40−金冷シ17:00−御殿森ノ頭17:47−登山口18:14−宮の平18:20/19:37=(神奈川中央バス)=本厚木20:20/20:24=(小田急・東急)=あざみ野21:44]
【メンバー】 単独行

○久し振りの本格的な山行です、いままでのモヤモヤを一気に晴らすべくロングコースに挑戦しました、丹沢の主稜を西から東へ大縦走です。おまけに2年前に雪の蛭ヶ岳を前に涙のUターンを余儀なくされた因縁のコースです、リベンジに燃える隊長は理性を忘れて山に来てしまいました。ちょっと身体を苛めてしまいましたが、日頃の不摂生が祟りボロボロです(情けなやぁ〜)

○箒沢公園橋を渡って歩き始めます、沢から離れると急登が始まりますが身体が慣れていないのでシンドイ思いで一杯です。一汗かいて板小屋沢ノ頭にでます、石棚山で玄倉からの道を合わせると格段に道が良くなります。しかし暑い!今日は曇っているのに何たる暑さだ、夏の丹沢はこれだからたまりません。人っ子一人おりません。

桧洞丸にて
○檜洞丸に着くと初めて登山者に出会いました4人が休んでいます、写真を撮ってから縦走路へ足を踏み入れます。どんどん下り涙のUターン地点を過ぎるとやがて金山乗越です。崩壊が進み少々歩き難い道となります、蛭ヶ岳までの間に数箇所崩壊した場所があり注意が必要です。

○蛭ヶ岳の登りは心臓破りです、足場の悪いガレを鎖を頼りに必死で登ります。あと0.4Kの長いこと。ようやく着いた山頂には誰もいません、ベンチの上に大の字に倒れ込み深呼吸を繰り返します。しばらく山に行かない間に体力が大幅に衰えてしまいました、ここまでコースタイムと同じとは情けない、これでは後半戦が思いやられます。

丹沢山みやま山荘にて
○丹沢山までは気持ちの良い尾根道です、途中で雨に降られますがすぐに上がり不動ノ峰でカッパを脱ぎます、ついでに踝に当たる小石を取ろうと靴を脱いだ拍子に「アイタタ」右足の内捻筋がつってしまいました。こんなの初めてー。歯を食いしばって丹沢山に到着しましたが「無い!『氷』の暖簾が無いじゃありませんか」そりゃそうだ山にはお客が一人も居ない。

○失意の隊長は三ツ峰へと向かいます、あと4時間ですがなんとか明るいうちに下りられそうです。でも足の疲労感は普通ではありません、あと11Kの長丁場に耐えられるのでしょうか?始めは緩い下りです、両側の鹿柵が興醒めですがペースは上がります。ところが思わぬ円山木ノ頭への登りで疲労は倍加です「あんなに飛ばしたのにー」一向にタイムは縮まりません「待てよ、確か丹沢のエアリアのタイムは超厳しかったのでは」「なぁんだ」わかってしまえばなんでもないことです。(今ごろわかっても遅いって・・)

○金冷シの手前から道はフラットになりスピードに乗ります。しだいに霧が濃くなり5時なのに10M先も良く見えません、これでは6時前に真っ暗になってしまいます「困った」更に一段と加速して高畑山はパスし、御殿森ノ頭の手前のベンチに到着です。ここまでくればあと45分です、ジメジメした所ですが濡れたベンチに腰掛けて一休みです。

○メモを取り何気なく足下を見ると何だか変です「あーっ!」何やら弾力のある蟲が伸びたり縮んだりしながら足の周りで幾つもダンスを踊っているじゃありませんか。おまけに尺取虫の要領で素早く靴を這い上がりつつあります、「き、気色悪りぃ〜」振るえる手で摘み上げて放り投げますが、何と今度は手に吸い付いて離れません「勘弁してくれー」靴下を引き上げると数匹が貼り付いています、泣きそうになりながら払い落として逃げ出します。

○もう無我夢中で山を駆け下ります、お陰で初めてコースタイムを短縮でき、明るいうちに里に下りることができました(怪我の功名)バスは1時間15分も先なのでバス停で寛ぎます、靴を脱ぐと・・「痛い!」今度は左足の内捻筋がつってしまいました、その靴下に蛭が幾つもくっついています、慌てて引き剥がします。靴の中を覗くと数匹がユラユラ踊っています、なんとか取り出さねば。

○こちらに気を取られている間に左脛に違和感が「やられたー」山では無事だったのに下界で血を吸われるとは・・薄暮のバス停では必死のバトルが繰り広げられているのでした。しかし困ったことに道路に投げ捨てた蛭の逆襲におびえる隊長は遥か遠くに移動してバスを待つはめになってしまいました。夏の丹沢が不人気だったのは暑さのせいだけじゃなかったんですね、こんな気色悪い思いは三十数年の山歴のなかでも初めての体験でした。


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