穂高縦走
西穂高岳−奥穂高岳−涸沢岳−北穂高岳
2000年の一名山
嵐の稜線を行く!
【行程】 9/14(木)曇り[新宿23:50=(急行アルプス)=]
9/15(金)快晴[=松本4:23=(松本電鉄)=新島々5:13/5:29=(松電バス)=帝国ホテル前6:30−登山口6:40/7:10−最後の水場8:40−西穂高山荘10:00(泊り)]
9/16(土)曇り時々雨(強風〜暴風雨)[西穂高山荘3:48−独標4:58/5:20−西穂高岳6:37−間ノ岳8:05−天狗岳9:09−畳岩10:37−ジャンダルム11:45−馬ノ背12:57−奥穂高岳13:13/13:24−穂高岳山荘13:58(泊り)]
9/17(日)雨のち曇り[穂高岳山荘4:55−涸沢岳5:18−南峰7:38−北穂高岳7:50−涸沢9:57−本谷橋11:30−横尾12:19−徳沢13:12−明神14:09−上高地14:55/15:00=(タクシー13800円)=松本16:05/17:21=(あずさ94号)=新宿20:17]【メンバー】 隊長、林道の鴉天狗、シェルパ1号
○いよいよ登山隊最後の日がやって参りました(久しぶりの復活なのに?)巷では一般ルート最難関と言われている西穂〜奥穂に挑戦です、何が起きてもおかしくありません。気になる台風14号は九州の西をうろうろしていますので思わぬピーカンにホクホクの隊長です。初日はほんの足慣らしで西穂山荘までノンビリと登ります、うっそうとした樹林帯の急登から稜線に出ると眼前に西穂独標が迫ってきます、いやがうえにも高まる期待。山荘に着くとまだ10時じゃありませんか、いきなり宴会モードに突入の登山隊はとどまる所を知りません、明日の事など頭の片隅にも無いような調子で酒盛りは延々と日没まで続くのでした(まったく馬鹿につける薬はありません)
○翌朝起きると山荘の入り口付近には陰気な人影が、なんと30名ほどが押し黙ってうずくまっています。いつのまにか台風17号が接近し、風が強くて出発を見合わせているのでした。靴紐を結ぶ隊長に次々に話し掛けてきます「出発するんですか?」「見りゃわかるでしょ」「大丈夫ですか?」「とにかく西穂まで行ってみます」「私には無理でしょうね?」「そんなんご自分で考えなさい、わたしゃあんたの実力も知らんのに」・・未練がましく絡み付く視線を背中に感じながら強風のなか出発です。
○信州側から物凄い強風が吹きつけて来ます、始めのうちは月明かりで順調でしたが独標のピーク付近ではガスと強風で道を失いました。なんと足元でチャリンチャリンとお金の落ちる音が、小銭入れからこぼれたかと懐電で照らすと夥しい小銭がキラキラと光っているじゃありませんか、遭難碑を蹴飛ばした罰当たりな隊長でした、くわばらくわばら。
○独標の山頂は強風でとんでもない状態です、記念写真どころではありません、急速に萎える登山隊の闘志、少し下って風を避け朝食にします。腹がふくれるとすかさず蘇る闘志(まったく単純です)先に進みますが隊長の頭のなかでは敗退記の文章が『西上州で鍛えた登山隊ですが穂高はレベルが違いました、恐れ入りやした出直してまいります』ところが周囲が明るくなればこちらのものです西穂高岳までは快調に歩きます。さて山頂では往くか帰るか思案のしどころですが・・隊長の判断はGO!です。
○P1の下りは30Mの垂直な鎖場です、ゴォーゴォーと風が舞うなか果敢に取りつきます。始めは消防士の要領で下りますが濡れた岩はスタンスが取れません、おまけに鎖はヌルヌルしています。2Mも下ると早くも"後悔"という漢字が頭の中をグルグルまわり始めます。足が滑って鎖に頼ってしまいますが「うぁー、鎖がすべるー」必死でしがみつき握力の限りに制動を掛けます。哀れ人間エイト環と化した隊長の指は痺れまくりです。
○最後に鴉天狗の順番ですが「風が弱まるまで待つ」とのことです「??、スキーのジャンプじゃあるまいし」鎖の半ばでもう一度うずくまる哀れな姿を見て極意を悟る隊長です。なるほど鎖に頼るから風で振られるのです、あくまでも基本はスタンスです、鎖はホールドの補助と思えば風は怖くはありません。そのときもう一つの天啓が、秘密兵器=ゴムのイボイボ付き軍手を持っていたのを思い出しました、これでもう滑る鎖は怖くない。
○P2付近で単独行の兄ちゃんが追いついてきました、朝声を掛けてきた一人です、この人の目には強い意思の光が感じられたが、やはり只者ではなかった。間天のコルから天狗岳への登りは濡れて滑りやすい逆層のスラブです、細い鎖を頼りに慎重に高度を稼ぎます。ところが50Mぐらい登った最後の一枚岩には鎖がありません、クラックに指を入れ攀じ登りますが今度はツルツルの岩を右手にトラバースです。5Mぐらい先の溝の中にちぎれた50CMの鎖が見えますが、なんとかあそこまでたどり着かなければなりません。ソロリソロリと体重を移動しますが「アッ!」つま先の岩場が崩れた時にはどっと冷や汗が。
○天狗のコルへの下りでようやく対向者とすれ違います、本日は4パーティ12名のみです。こんな暴風雨のなかを通過する命知らずの愚か者はそんなに多くはありません。時折ガスが流れ笠ヶ岳が美しい、振り返れば天狗岳の山頂に先ほどの登山者が豆粒のようです、はるか足下には梓川と上高地が望まれ高度感抜群です。さてジャンダルムへ登るつもりがいつのまにか巻いてしまいました「こりゃ大変だ!」確認しようとジャンの基部に駆け寄りますが、慌てたので岩の上で足が揃いツルッ、身体は前にスッテンコロリン、両腕をしたたか打ち付けてしまいました。痺れる腕を庇いながら飛騨側へトラバースをし直して頂上を目指します、生憎ガスで眺望は得られませんが憧れのジャンダルムに立てて感激の隊長です。
○いよいよ最後の難関馬ノ背です、切り立ったナイフリッジは信州側からの強風に晒されとても通過できる気がいたしません。乾いて風がなければ楽に通過できるのでしょうが本日最大の危機的状況です。折からガスは雨に変わり目をあけていられません、姿勢をできるだけ低くして岩にしがみつきながら一歩一歩登ります、次第に狭くなる稜線に隊長の顔は真っ白です。・・誰もいない奥穂高山頂にへたり込んだ登山隊は堅い握手をかわしたのでした。
○翌日は雨ですが風は弱まりましたので涸沢岳から北穂高岳を目指します。涸沢岳の下りは厳しいのですが鎖と梯子が完備し要所にはボルトも打ってあり危険の少ない道です。ガスに霞む険しい稜線は幻想的でさえあります。北穂高(南峰)までに単独行とすれ違っただけの静かな旅でした、北穂の山頂にも人影はありません、霧のなか小屋の発電機のくぐもった音だけが悲しげに響きます。
○涸沢までは南稜を下りますがシェルパの調子が良ろしくありません、どうやら最近の不摂生が脚に来たようです。更に横尾に向かいますが本谷橋まででコースタイムの1.3倍もかかってしまいました。大変だー、これでは上高地に着くのが夕刻になってしまいます、電車に乗り遅れてしまう。隊長の決断は素早い「皆のもの不要な水は捨てろ」シェルパを空身にして隊長がダブルザックで駆け出します。鴉天狗と交代で先を急ぎます、沿道の人々の驚いた顔といったらありません。
○なんとか3時には上高地に到着です、幸いタクシーは待たずに乗れ渋滞も無くずいぶん早く松本に着きました。さて信州と言えば蕎麦です、松本駅前の「こばやし」にて待望の酒宴となりました『酒盛りに始まり酒盛りに終わる』すべてがこともなし。辛かった山行を懐かしみながら大阪に帰るシェルパに別れを告げ東京へと向かいます。隊長の総括は、西上州で鍛えた登山隊が穂高でも通用したことが嬉しいやはり基本は変わらないということですね。
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