檜洞丸

西方から檜洞丸を振返る


【行程】 3/28(土)曇り [新松田7:35=(タクシー)=西丹沢自然教室登山口8:05/: 16−ゴーラ沢出合9:10−展望台分岐10:10−檜洞丸11:41/12:16−金山乗越手前12:40−青ガ岳山荘13:25(泊り)]
3/29(日)快晴[青ガ岳山荘8:00−檜洞丸8:06−熊笹の峰8:45−犬越路10:45/11:30−用木沢出合13:02−西丹沢自然教室バス停13:25/:35=(バス)=新松田15:00]
【メンバー】 隊長、陰の大御所、林道の鴉天狗、シェルパ1号

○春ですね今回は久しぶりの豪華メンバーです。この2日ほどのポカポカ陽気で山の雪もだいぶ解けたのではと、丹沢主稜から三峰を狙って登ったのですが・・・・檜洞丸から先は雪が思いのほか残っており、貧弱装備のミ〜ハ〜登山隊はあえなく敗退したのでした。

○ 檜洞丸の雪は展望台のあたりから徐々に現れますが、山頂付近はバイケイソウを保護するための木道もあり全然気になりません。頂上のベンチは1つだけ雪の上に顔をだしています。すばやくこれを確保し昼食とする登山隊。(皆うまそうな駅弁なのに隊長はコンビニおにぎりとは情けない)

○ さて昼食後は気持ちを引き締め残雪の主稜に挑戦です。ここでなんと若干1名の装備が不足していることが判明し前途多難を予想させます。(誰だ、アイゼン、スパッツを忘れたのは!・・・・陰の大御所でした)青ガ岳山荘を過ぎるとトレースも細くなり緩んだ雪に足をとられるようになり、あいにく天気も曇りからガスへと急速に悪化しつつあります。金山乗越への急降下を重ねるうちに、目前の蛭ガ岳はどんどん高くそして遠くなるのでした。我々の心も急速に暗くなり闘争心が冷え込んでしまいました。(情けなや、情けなや)

金山乗越し手前の涙のUターン地点
○ ここで陰の大御所の鶴の一声で引き返すことに決定。隊長は涙をのんで回れ右の司令を発したのでした。早速、蛭ガ岳山荘にDoCoMoでキャンセルをいれる。(まったく便利な世の中です)こうゆう場合は結局一番貧弱装備に合わせることになるので、皆さんメンバーに迷惑掛けないよう注意しましょう。(これは基本中の基本ですね皆さん)

○ 青ガ岳山荘は素泊まりのみのはず、ここで隊長は必死に頼みこみ2食をゲットします。小屋番は本職が病気のためボランティアのお兄さん、毎週末に川崎から通うサラリーマンとのこと。(まったく頭が下がります)見た目は若いが話しているうちに隊長と同年代と判明し、いつしか酒盛りしている馬鹿者たちでした。この日のお客は我々だけ、小屋番から焼酎の差し入れもあり急速かつ大量にアルコールを摂取し、敗退の無念を晴らします。

お世話になった青ヶ岳山荘
○夕食の30分まえ、すっかり出来上がった隊長はMMLの皆さんに約束したアマチュア無線のCQを出しにスリッパで山頂を目指すのでした。気温は下がり風も出てきたなかで必死のコールにMMLの人からの応答はありません。千葉県はじめ3局と交信したところへ林道の鴉天狗が心配して迎えにきたので小屋へもどります。(すっかり冷えきった身体を堀こたつが暖かく迎えてくれました、でもこの小屋はストーブをつけないのですごく寒い)

用木沢から熊笹の峰
○ 翌日は快晴ですが、一度萎えた気力はもう元へは戻りません。用木沢に向かうこととします。朝のうち雪は締まっているので熊笹の峰などなかなか急峻な山道を慎重にくだります。犬越路では気温は20度を越え初夏の陽気です、雪の着いた檜洞丸を眺めながらのんびりと昼食をとると、昨日の敗退がうそのようです。用木沢の河原からみる景色はまるで上高地(焼岳と梓川)のようです、なにか非常に得した気分となり、ここでコーヒータイムとします。休憩から5分しか歩いてないのに、まったくノンビリ山行です。

○ バス停に着いたのは1時半。(うーん、もったいない)早速ビールで乾杯といきたいところですが西丹沢青少年自然教室では酒など置いてあるはずはありません。そこへ中年女性(おばさん)の3人パーティが登場。なんと彼女らは蛭ガ岳から縦走してきたと言うじゃありませんか。内心の悔しさを面に出さず捲土重来を誓う隊長でした。(隊員の皆さん、今度はちゃんと装備をもってきてね・・・・隊長からの切なるお願い)

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