常念岳
1999年の一名山
【行程】 10/29(金)晴れ[新宿23:50=(急行アルプス)=]
10/30(土)快晴[=豊科4:38/4:45=(タクシー6220円)=三股5:02/5:12−力水5:55−標高2000M7:20−標高2500M8:43−大滝分岐9:08−蝶ヶ岳小屋9:20/9:44−蝶ヶ岳10:00−2592P11:27−常念岳13:33/13:57−常念小屋14:32(泊り)]
10/31(日)快晴[常念小屋7:20−横通岳7:58/8:15−常念小屋8:45/9:25−烏帽子沢10:47−一ノ沢登山口12:02/12:20=(タクシー4780円)=穂高温泉12:50/13:26=(タクシー1900円)=穂高13:50/15:07=(JR)=松本15:32/16:06=(スーパーあずさ10号)=新宿18:36]【メンバー】 隊長、林道の鴉天狗、シェルパ1号、シェルパ2号
○体育の日に登った飯豊があまりに素晴らしく、暫くは余韻に浸って白日夢の世界をさまよっていました。心ここにあらず、あらぬ所に飛んでいってしまった隊長の魂ですが、年内の百名山完登というミッションを思い出し強引に現世に呼び戻されました。そして徐々に常念岳へと闘志を燃やし始めたのでした。10月末とはいえ山からは雪の便りが届いています、ラストチャンスに賭ける登山隊です。
○豊科で降りたのは我々と単独行のみと夏の喧騒が嘘のような晩秋の安曇野です。三股はまだ真っ暗でしたが本日の長丁場を考え歩き始めます。しだいに明るくなる紅葉の中を急登が始まります。オ〜ッ、遥か奥に朝日を浴びて白く輝くたおやかな峰が望まれます、まるでヒマラヤの写真集から切り取ってきたような絶景です。でも感心ばかりはしていられません、あれが目指す常念岳だからです。(一同溜め息)
○まさかと言うか、やはりと言うか、装備に不足のある隊員がいたのです。あれだけ念を押したのに、なんたるこっちゃ!アイゼンを持たないアホや綿パンツのマヌケなど白い峰を前に隊長の心は限りなくブルーです。更にすれ違った単独行氏が心配に輪をかけます、「常念岳の下りは股まで雪があった」とか「常念小屋は既に営業終了」とか信じられない。おまけに会う人全て常念小屋は閉まっていると言う、隊長の予約はなんだったの「お待ちしています」のメールは幻だったのか?多勢に無勢、隊員からの信頼が大きく揺らぎます。(こんなにも脆い信頼だったのかー)
○蝶ヶ岳の稜線に立つと突然眼前に雪を被って迫力満天の穂高連峰から槍ヶ岳の大パノラマが展開します。雲ひとつ無い青空のなか西からの冷たい強風が山頂付近を冬山状態にしています。雪と戯れたことの無いシェルパ2号と長谷川カップでお疲れの残る鴉天狗はアイゼンを装着、隊長とシェルパ1号はそのまま進みます。テカテカに凍った所は少ないもののノーアイゼンで凍った稜線を下るのは気分の良いものではありません、百名山完登を前に滑落では洒落になりません、慎重に足を運びます。
○蝶槍の下りも樹林帯に入ると風も弱まり一安心です、ここで昼食とします。最低鞍部からの登りは風もなくポカポカ陽気で雪は全て解けていました。しかしピークを越えると再び冷たい強風が当たるようになり白銀の世界が待っていました。ここから常念岳まではどんどん条件が厳しくなります、不安を胸に秘めながらひたすら山頂を目指します。幸い雪質はコチンコチンでもなくズボッでもない歩くのに苦労の少ない最良のコンディションでした。でも雪の為でしょうか常念岳までの間に2人連れとすれ違っただけの静かな縦走となりました。
○青空のなかに聳えたつ真っ白な稜線をあえぎながら登る登山隊、ここまで来れば登頂あるのみ、最後の力を振り絞ってアタックします。アイマックスシアターのエベレストの映像のように美しい世界のなか、『俺の百名山完登イメージとはちと違うなぁ』などと取り留めの無いフレーズが浮かんでは消える隊長の頭の中。最後のピークを乗越すと20M先に祠がありました、ヤッター遂に登頂です。苦節38年に渡る挑戦はようやくここに実を結びました。
○狭い山頂には我々だけ、さっそく厳かな登頂祝いの儀式の始まりです。「おめでとう」「ありがとう」厳しい表情を崩さなかった隊長の顔にもようやく微笑みが戻ります。本日は鴉天狗製作の幟がはためいています、この前で記念撮影です。(誰にも見られなくて良かった)なんて悪口を言ってはいけません、友情厚い隊員の皆様に感謝、感謝の隊長です。
○常念岳からの展望は北アの展望台の名に恥じない素晴らしいものでした。百名山完登を祝うような快晴のなかどこまでも続く白い峰々、雪と岩の織り成すスペクタクルは到底人知の及ぶところではありません。雲海の向こうには白く輝く北岳、富士山、八ヶ岳。至福の時は限りなく続きます。
○さて北面の下りはキックステップで一歩一歩慎重に進みます、数箇所凍ったところがあり冷や汗の連続です。肩からは傾斜が更にきつくなり、ほんの少しの気の緩みが即命に繋がる本日一番の緊張の場面でした。常念小屋はちゃんと開いていました。まったく人騒がせなオジサンです、何を根拠に見てきたような嘘をつくのでしょうか、冬山ではこの手のデマは危険このうえありません、それに営業妨害も甚だしい。
○小屋では百名山完登を祝して常念坊の木の札を用意していてくれました(80周年の通しナンバーの木の札とは別です)おまけに「常念岳を選んでくれて光栄です」と百名山手拭いまでくれる太っ腹な小屋の親父さんに感激の隊長でした。部屋にあがると早速宴会です、飯豊での酒不足の反動でしょうか次から次ぎへと並ぶ大量の酒類。(装備は手抜きでも酒は持参する、懲りない面々)北方の雪は多いそうですので明日の縦走は中止です。そうと決まればあっと言う間に体内に消えて行くアルコール達。
○翌日はまたしても快晴です、このまま下るのはもったいないので横通岳まで景色を眺めに登ります。常念岳より90M低いのですが大天井岳、燕岳、北鎌尾根などが一段と身近に眺められ、また常念岳の端正な姿も一見の価値がありました。常念乗越しから槍、穂高に別れを告げ、一歩峠道に入るとそこには雪のかけらも無く汗ばむほどの陽気でした。帰りには町営穂高温泉(400円)で汗を流し、穂高駅近くの一休庵で地酒(馬刺し、きのこ)&蕎麦を食します。シェルパ達の百名山完登にもお祝いに駆けつけるなんて安請け合いしたけど何時になるのやら、どうか足腰の立つうちにお願いしたいものです。