幌尻岳

戸蔦別岳から幌尻岳を望む


7/31(土)羽田=釧路=(雄阿寒岳)=岩尾別温泉
8/ 1(日)(羅臼岳)=斜里
8/ 2(月)(斜里岳)=日高
8/ 3(火)−額平川『洗心ノ滝』
8/ 4(水)−幌尻山荘
8/ 5(木)(幌尻岳・戸蔦別岳)=平取温泉
8/ 6(金)=支笏湖(樽前山)=五色沼温泉(ニセコアンヌプリ)=倶知安
8/ 7(土)=喜茂別(後方羊蹄山)京極=大野町
8/ 8(日)=松前(大千軒岳)=函館=羽田


【行程】 8/3(火)快晴[樹海ロード日高・道の駅6:50=幌尻登山口8:16/8:33−取水ダム10:26−洗心ノ滝(四ノ沢出合)12:35(テント泊)]
8/4(水)
快晴[洗心ノ滝11:25−幌尻山荘12:52(泊り)]
8/5(木)
快晴[幌尻山荘4:05−命の泉5:30−幌尻岳7:06/7:30−戸蔦別岳9:05/9:12−六ノ沢出合11:00−幌尻山荘11:48/12:14−洗心ノ滝13:15−取水ダム14:10−登山口15:35/15:55=平取温泉17:10ニ風谷キャンプ場(テント泊)]
樽前山へ
【メンバー】 隊長、林道の鴉天狗、シェルパ1号、信州のへつり王(幌尻岳のみ)


○本日は快晴です、太平洋高気圧が北海道を覆いしばらく晴天が続きそうです。でも日高地方は昨日までの集中豪雨で川は濁流と化し泥水が渦を巻いて流れています。茶色い水が川幅一杯に広がり水位も橋に届きそうです、とても渡れる状態ではありません。でも上流に行けばとか、時間が経てば、という望みを抱いて林道を駆けあがります。林道の途中から水の色が薄茶色になってきました、いい兆候です。「わぁー、カフェオレみたいだ」無邪気なシェルパです、鴉天狗がすかさず「これじゃパンツが茶色になっちまう」(誰もあんたのパンツの話しなんか聞きたくないよ)

○幸い登山口の林道ゲートまでは無事に到着しました、岡本さんは昨年アブの大群に悩まされたそうですが、今年はアブが不作のようです。『車上荒らしに注意』の看板に貴重品は身に付けて出発します。林道を1.5キロ程歩いたところで道が大きくえぐられて崩壊しています、ここから取水ダムまでの間は十数箇所の崩壊地点があり場所によっては人が歩くのにも危険を感じる所もあります。修復までにはかなりの時間が掛かりそうです。

流された梯子の先には激流が!
○取水ダムに着くと幌尻山荘への道標が堰堤の上にあり右岸に沿って下りる梯子が掛かっています。ところが梯子は3M先でプッツンと切れその数M下には轟々と激流が逆巻いています「こりゃあかん」さっそく笹をかき分けて高巻きを試みますが到底不可能です。こうなれば対岸にダムの吊り橋を渡り、そこから川幅の広いところを徒渉するしか手はありません、心を決めて沢歩きの準備をします。

○いきなりの徒渉は胃の辺りまでの水位で流れも結構速い、登山隊は3人でお手々つないで必死に進みます、水の冷たさといったら足の先が暫く痺れたほどでした。なんとか川を渡ると右岸の高巻き道を発見できました、しかしこの道も各所で崩壊し、倒木に行く手を阻まれ、荷物の多さも加わり大変難渋しました。昼食後はいよいよ本格的な徒渉の開始です、最初の地点は胸の上まで水があり水流に負けないように一致団結してなんとか渡りましたが「おいおい話しが違うよ」状態です。

○もう一度同じように川を渡り少し行くと前方に人影が!と思いきや河童の親子が水練中でした、・・・でもやっぱり人のようです。本日初めて出会ったのは下山途中の4人パーティです。幌尻山荘の手前で大雨で増水した沢に1週間も閉じこめられていたそうです。天気の回復で道警のヘリから食料をもらい、ようやくここまでたどり着いたのでした。父さんと母さんはこちら側に泳ぎついていますが、お嬢さんが渡れません。ここは洗心ノ滝のある四ノ沢の水が合流し狭い函状の部分に急流が押し寄せている難所です。

○「思い切って飛び込みなさい!」河童の父さんは恐い顔で娘を叱ります。濁流を挟み数M先の岩の上で、娘は青白い顔を弱々しく横に振ると口を一文字に結び、渦巻く流れを食い入るように見つめます、うなじに掛かった濡れた数本の黒髪が哀れを誘います。もう一度父さんに促されてようやく決心がついたようです、一歩前に出ます、息を飲む登山隊の面々。ザッブーン!濁流に身を任せた娘は手首に巻いた細引だけが頼りです、必死に手繰り寄せみんなで水から引き上げます。

○下りは泳げますが登りはそういう訳には参りません、手をつないで強行突破を図りますが、肩を越えるきつい水流に押されて隊長の脚が岩から離れてしまいました。アッと言う間の出来事でした、仰向けにひっくり返ったまま2Mほど流されてしまいました「こりゃあきませんわ、脱帽です」命がいくつあっても足りません、早々と徒渉を諦めて本日はここでビバークとします。アドベンチャー・ファミリーはお礼を言いながら下っていきました。

ビバークを決めた登山隊
○この濁流は今までの登山隊の沢登りの常識を越えるものでした、一応防水していたはずの電子機器は哀れ水没し(防水が甘かった=長年使っていたビニール袋に数個の小さな穴が)携帯・無線機・カメラが被害を受け使用不能となりました。唯一非常用ラジオだけが被害を免れました。大損害だぁ!!

○朝が来ましたが水はまだまだ引きません、昨日よりは20CMぐらい水位が下がった程度です。そこへ単独行が下りてきました、川の流れを見て暫く躊躇していましたが、シェルパにそそのかされて荷物をこちら側に投げ始めました。突然、「大変だー」シェルパが血相を変えてテントに駆けてきます、下流を見るとドンブラコ、ドンブラコとザックが流れて行くじゃありませんか、なるほどこれは大変だ。(単独行氏の手元が狂ったのです)

○単独行氏は悲しみのあまり30分ぐらいも岩の上で考え込んでいましたが、責任を感じたシェルパの投げたカラビナ付きの細引を手に飛び込む決心をしたようです。何度か躊躇した後でようやく流れに身を任せました、必死に引き上げる登山隊です。彼は縦走してきたそうですが、小屋には28人が1週間閉じこめられているそうです。ここから上はなんとか渡れるそうですが、流れは速くないが顎まで水がある場所もあるそうです。幸い貴重品は流されていませんでしたのでサブザックにパッキングして山を下ってゆきました、心なしか後ろ姿が寂しそうです。

激流の向こうに鈴なりの人々が
ザイルを使って激流を渡る○これじゃ我々は上へ進むことができません、昼まで寝直そうという結論に達しました。(そのうち水も引き始めるじゃろう)ところが10時過ぎに何やら気配を感じてテントから顔をだすと、対岸に鈴なりの人です。山小屋に閉じこめられていた人々が営林署の方を先頭に集団で下りてきたのでした。登山隊も協力してザイルをフィックスして一人づつ慎重に渡ります。このロープに便乗して登山隊も無事に川を渡ることができました。目出度し目出度し。

○下山してきた人の情報だと2日前から1週間の入山禁止だそうです。だけどゲートにもどこにも何も表示は無かったなあ?でも確かに昨日は登ってくる人は誰もいませんでした。小屋までの間はかなり水位のある所もありましたが洗心ノ滝を越えた登山隊の行く手を阻むものではありません。どうにかこうにか幌尻小屋に到着です、天気がよくて本当に良かった。

○本日は山を独占かと小屋に着き濡れた衣類を乾かし寛いでいると単独行が上がってきました。聞けば林道で警官が上に行かないほうが良いと言っていたそうです、でも強制的に禁止させるわけではないそうです。(入山禁止ではなく自粛でした)それから報道陣が小屋から下りた人々を待ち構えていたそうです。こちらは夜のNHKTVニュースで無事の下山をやっていました。(小屋ではAMは入りませんがFMは山岳回析で入りました)しかしこの単独行氏は洗心ノ滝の難場を驚異のヘツリ技術で潜りぬけてきたそうです、隊長は『信州のヘツリ王』の称号を惜しみなく与えその栄誉を称えました。

山頂直下のお花畑
○もう3日も晴天が続いていますのでそろそろ夕立とかが気になります、出来れば本日中に下山したいものです。ということで朝4時に出発とします、『信州のヘツリ王』も熊が恐いので同行することになりました。小屋の横からいきなりの急登が始まり『命の泉』まで一気に高度を稼いで行きます。もうひと登りでカールの肩に出るとあとはカールの縁の稜線上を這松とお花畑のなかの気持ちの良い道を進みます。

ピーカンの山頂を独占
○山頂までの道は良く踏まれていてお散歩気分であっけなく到着です。さすがに日高の盟主です、周囲に邪魔になる山はありませんのでピーカンのなか360度の大展望を心行くまで楽しみます。幾多の困難を克服して幌尻岳の山頂に立った時の気持ちは到底言葉では言い表せません、感無量です。先程から遅れ気味の『信州のヘツリ王』は腹の具合が思わしくなくここでリタイアです。登山隊は戸蔦別岳を目指します、眼下に見える七つ沼のカールが神々の楽園のごとく神秘の静けさを保っています。

幌尻岳から日高の山々を望む
○幌尻岳から戸蔦別岳の稜線は這松が道に茂り進むのに体力と時間がかかります、でもこの方が日高らしくて歩いていて嬉しくなります。最後の急坂をジグザグに登りきると戸蔦別岳に到着です、ここからの幌尻岳はカールに削られた雄大な山容があますところ無く望まれ、まさに日高の王者にふさわしい眺めです。

○分岐からの下りは急で道もあまり良くありません、稜線上と違い風が無いので蒸し暑いなか黙々と六ノ沢を目指します。ようやく沢の音が近づいて来ますと笹の刈り取りが途切れます、胸の上まである笹をかき分けながら足元に注意しつつ進みます。どうも刈り取り作業が豪雨で中断してしまったようです。六ノ沢に着くとヒンヤリと気持ちの良い空気が待っていました、こういう暑い日の沢はまた格別でんな。

○六ノ沢から山荘まではルートが判然としません、赤布はあるのですがどうも水の少ない時の物のようです。しかたが無いので沢の中を強引に下りますが、まだ結構な水量がありルート取りには苦労させられました。山荘から下は昨日よりも水が引いていて楽々徒渉です、途中でようやく登ってくるパーティに出会いました。洗心ノ滝の徒渉は3人で手をつなぎ一気に渡りました、対岸で渡れなくてボォーとしている単独行氏は力強い登山隊の徒渉を呆気にとられて見ていました。「ここが越えられればあとは簡単」と励ましの言葉を残して登山隊は風のように下って行きました。

○ここまで来ればもう安心です、あとは往と同じ道を淡々と下るだけです、長い林道歩きから開放された時にはもう行動時間は半日になろうとしていました。ああくたびれた、隊長は精も根も尽き果ててしまいました。ゲートの向こうに見たような顔があります、羅臼岳で会った猿顔のオジサンです。林道でオイルパンを割ってしまいJAFを呼んでいるところだそうです、やはり豪雨で荒れた林道は恐いですね。

○帰りには平取温泉(450円)で汗をながし、併設の食堂で平取名物の肉を焼いて食べます、ビールがうまい。やはり併設のニ風谷キャンプ場で泊まることにしてハードだった1日を終えることとします。無事帰ってこれて本当に良かった、今迄で一番思い出に残る百名山となりました。

樽前山・ニセコアンヌプリをへて後方羊蹄山へ続く

この報告はわたしの一名山に掲載されました。

(参考)
                 北海道新聞 1999.8.5
幌尻岳に登り、大雨で幌尻山荘に避難の27人が無事下山

 【平取】日高山系の幌尻岳(二、○五二m)に登り、大雨で下山ルート途中の川などが増水して七月二十九日から日高管内平取町の幌尻山荘に避難していた登山者ら二十七人は、四日午後に自力で下山した。山荘から約一キロ下で露営していた埼玉県などからのパーティーも、四人が三日夕に下山した。

 地元山岳会員など六人をのぞく一般登山者二十一人は静岡、神奈川など道外から来た中高年の人がほとんど。同岳中腹の山荘に一週間近く足止めされたが、日高北部森林管理署振内事務所と定時に無線連絡が取れていたため、全員落ち着いていたという。山荘に運び上げられていた米三十キロは一日に底をついたが、二日に道警のヘリが食料を運び、安心感が広がった。

 四日は朝に山荘を出発、午後三時前に登山口に到着したが、途中の川は肩までつかるほどまで増水していたという。一緒に行動した平取山岳会の野々宮功さんは「三十日は雨が激しく降り、石が雨水で流されるほどだった。天気の良かった三日には『もう降りたい』という人もいたが、危険なのでみんな一緒に行動した」と、全員無事下山にほっとしていた。

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