早池峰

早池峰遠望


10月30日 東京=(車)
10月31日 =岩木山八甲田山八幡平=盛岡
11月01日 盛岡=早池峰=湯の台
11月02日 湯の台=鳥海山=志津温泉
11月03日 志津温泉=月山蔵王山=東京

【行程】 11/1(日)曇りのち雨[盛岡6:40=盛岡IC6:48=柴波IC7:02=河原坊8:15/32−小田越9:05−竜ガ馬場9:35/45−岩陰T9:55/10:30−岩陰U10:40/12:00−稜線12:25−早池峰12:35/13:00−頭垢離13:48−河原坊14:35/45=花巻IC16:10=湯沢IC=湯の台19:15(鳥海山荘泊り)]
【メンバー】 隊長、シェルパ1号、(林道の鴉天狗)

○盛岡でシェルパ1号と合流しメンバー充実の登山隊は一路早池峰へと向かいます。河原坊への道は紅葉が真っ盛りですが、どんよりと低く垂れ込めた雲のためかもう一つ精彩を欠いています。今日は寒冷前線の通過が予想されていますのでこれから天気は崩れそうです、本当はこんな時に山登りはしたくないのですが、ついつい頑張ってしまう悪い隊長です。河原坊の駐車場には既に30台ほどの車が停まっていて早池峰の人気の高さを窺わせます。ここから小田越までは林道歩きですが、しっとりとした秋の林道は風情があり全然苦になりません。

○小田越からはしばらく樹林帯を行きますが、やがて岩稜地帯に出ます。ここで雨が降り始めましたのでカッパを着用しますが、あっという間に嵐になりました。これはイカン、隊長は素早く岩陰を確保して暫く様子を見ることにします。前線の通過でしょうか気温が急激に低下し、風は激しさを増し雨を打ち付けてきます、時折みぞれ状の雨も混じります。30分ほどすると少し風が弱まったようなので岩陰から出ますが、すぐにもっとひどい状況になりあわててつぎの岩陰に飛び込みます。ここで腰を落ち着け昼食としますが、鴉天狗の様子がおかしい、ブルブル震えているじゃ有りませんか。みそ汁を飲んでも停まりません。しゃあないカッパの下にフリースを着せてツェルトを頭からかぶります。これでみんなポカポカで風の悲鳴を子守り歌にウトウトと眠ります。

○夢うつつから覚めると風は相変わらず強いのですが幸い雨量は減っています、登山再開です。休養十分な隊長とシェルパ1号は山頂を目指しますが、鴉天狗は大事をとって下山とします。岩場のなかのハシゴをいくつか登ると思ったより早く稜線にでました、ここから風は大幅に弱まり10分ほどで山頂の避難小屋に到着です。

避難小屋にて
○小屋には先客が10名数名いましたが、なにやら怪しい雰囲気が。なんと避難小屋のトイレの糞尿を汲み取り山から下ろす作業をしているボランティアの方々でした。石油缶に10個の糞尿を背負ってこれから下山するところでした。この嵐の中まったく頭の下がる思いです。早池峰は人気の山ですので山頂避難小屋(トイレ)のオーバーユースが問題になっているようです。

○山頂からは岩場の急な下りが延々と続きます、途中で糞尿処理隊を追い越すと、あとは静かな山旅となりました。頭垢離で冷たい水を飲んで生き返った登山隊は樹林帯のなかの道を河原坊へと急ぎます。天気も回復に向かい、いつしか薄日も差すようになりました。木々の間に河原坊の建物の屋根が見えると駐車場はすぐ近くです、車には元気な鴉天狗の姿がありました。「8月に抜け駆けで早池峰に登った鴉天狗ですので、今回は無理をしたくなかった」という疑惑が、あの震えは擬態であったのか?隊の信頼関係にヒビが入り重大局面を迎える登山隊です。しかしこの季節にアンダーシャツがクレープとはお粗末な、化学繊維のシャツを買ってくれ、もう一緒に登ってやらないからね。20数年前の2月に祖母山にて綿シャツで震えた隊長のいうことを聞きなさい。(科学の進歩は素晴らしい)

○帰りがけに岳では早池峰神社に立ち寄り登山の無事をお祈りします、恵那神社も素晴らしかったけれど、ここもなかなか赴きのある神社です。やはり古来から信仰の山としての歴史の深さを感じさせます。さて、天候の悪化で思わぬ時間を取られた早池峰でしたが、後は鳥海山への移動だけです、山麓の湯の台温泉へ向かいます。

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