白峰三山

北岳・間ノ岳・農鳥岳

北岳山頂にて


【行程】 8/6(水)晴[新宿=甲府]
8/7(木)
曇りのち雨[甲府=タクシー=広河原アルペンプラザ3:40−広河原山荘4:00(朝食)/30−肩の小屋9:48(泊り)]
8/8(金)
雨(強風)[肩の小屋8:30−北岳9:00−北岳山荘10:05(昼食1)/11:12−間ノ岳12:45(昼食2)/13:20−農鳥小屋14:10(泊り)]
8/9(土)
雨(強風)のち曇り[農鳥小屋5:25−西農鳥岳6:05−農鳥岳6:45−大門沢下降点7:30/8:00−大門沢小屋10:32(昼食)/11:20−登山口14:22=(民宿の車)奈良田14:45民宿(泊り)]
8/10(日)
晴れ[奈良田=身延山参拝=身延=甲府=新宿]
【メンバー】 隊長、シェルパ1号、シェルパ2号

○会津駒ケ岳の帰りの電車内での誓い通りミ〜ハ〜登山隊は南アルプスの白峰3山に挑戦することになりました。おもえば25年前、隊長がまだ紅顔(厚顔)の美少年だった頃、K.H.C.の夏合宿で南アに来て以来です。隊長は4分の1世紀前のイシイのザックに装備をつめての参加でした。(だいじにとってあったんです=山への思い絶ちがたく)

○甲府からはタクシーで広河原へ、アルペンプラザからは北沢峠への道を少し入って吊り橋を渡ります。でも50人以上いた人々は一人もこちらに来ない?全員広河原へと遠回りしているのでした。ものすごく不安になる隊長、でも信念をもって我が道を行き大正解。

○二俣からの登りはさすがにきつかったのですが、日本第二の高峰に登るという気持ちの張りで一気に小太郎尾根に到着です。それまでは曇っていた空も尾根に着くと仙丈方面からの風とガスで荒れ模様となります。雨のなか肩の小屋に到着、早いが夜行の疲れもあり宿泊とします。2番乗りでした。小屋の前では雷鳥の親子がガスのなかで散歩中。一瞬の晴れ間に仙丈・甲斐駒・鳳凰三山が望めました。シェルパ1号だけは大いびきで昼寝中でしたので見逃してしまいます。

○翌日は朝から大嵐、回復を待つが望み薄く、取りあえず出発します。北岳の登りは追い風に助けられ軽々と山頂着。ここで隊長の
北岳の歌が飛び出します、一同唖然!でも山頂の人々から拍手あり(隊長感激!)下りは横殴りの風雨で生きた心地がしませんでした。でも強い味方がありました(モンベルのストームクルーザー)まったく快適に登山ができました。昔ポンチョに泣かされた経験のある隊長は科学の進歩にビックリ仰天。

嵐の間ノ岳
○北岳山荘で天候の回復を待ちますが、なかなか思わしくないので出発します。間ノ岳の山頂も風雨が厳しいが、ここで弁当を食べます。肩の小屋の食事はもう一つですが弁当は○です。農鳥小屋に着く頃には雨は次第にあがってきました。小屋からは富士山がきれいに見え明日の天気に期待がもてます。(夜中にみた甲府市の夜景もきれいでした)
農鳥小屋にて

○農鳥小屋では八戸市役所の8人組みと一緒になりました。勧められるままにウーロン茶を飲むと、なんとそれはウィスキーでした。気がついた時にはもうかなりできあがってしまいました。教訓=気を付けよう山での深酒。

○さて翌日はとんだ大嵐、はいつくばるような姿勢で雨風をよけながら西農鳥へ登ります。小屋のおじさんのアドバイスも「休まず(長休みせず)登り切れ」今回は本当に恐かった。でも60歳のオジサンがはいつくばっているのを見ると我々はなんなんだと思ってしまいます。大門沢は本当につらい長い下りでした。しかし吊り橋は一人一人渡ってください、八の戸のオジサンたちが最初の吊り橋に8人同時に乗ったときには肝をつぶしたよ。本当によくワイヤーが切れなかったと思います。ようやく登山口に迎えの車を見たときには文明の有り難さが身にしみました。(なんと農鳥小屋で奈良田の民宿を予約すると、携帯電話で連絡して、一般車通行止めの奥の登山口まで車でお迎えがあります)
身延山で八戸チームと再開

○奈良田では町営温泉と白旗記念館を堪能し、民宿では新潟からの3人づれと意気投合。翌日は身延山に参拝し帰京しました。(なんとここであの八戸チームとバッタリ会う、お互い信心深かったのですね)

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