木曽駒ヶ岳

三ノ沢岳・宝剣岳・中岳・木曽駒ヶ岳・将棊頭山・権現山

稜線から三ノ沢岳を望む



【行程】 9/16(日)快晴のちガス [たまプラーザ2:10=(車)=菅の台5:20/6:55=(伊那バス)=しらび平7:26/8:33=(ロープウエイ)=千畳敷8:41/8:50−三ノ沢岳分岐9:24−三ノ沢岳10:38/10:45−三ノ沢岳分岐12:00−宝剣岳12:30/12:38−中岳13:01−駒ケ岳13:24/13:36−八合目14:28−将棊頭山15:05−西駒山荘15:16(泊り)]
9/17(月)ガスのち晴れ [西駒山荘6:28−八丁立7:01−辻山7:47−権現山8:26−登山口9:10−下島10:05/10:36=(JR)=駒ヶ根10:51/11:00=(伊那バス)=菅の台11:12/11:38=(車)=たまプラーザ17:35]
【メンバー】 隊長




三ノ沢岳分岐から宝剣岳・中岳・駒ヶ岳を望む ○三連休の前夜に飲み会が入ったので、泣く泣く初日を棒に振りました(土曜日の晴天が恨めしい)そういう訳で後半の2日に賭ける隊長です。行く先は木曽駒ケ岳とその周辺の山々です。ロープウエイの混雑が予想されますので、満を侍して夜中に出撃です。頑張った甲斐あって5時20分に菅の台に到着ですが・・・すでにバス停には長蛇の列が。いったい何時になったらバスに乗れるのでしょうか?



○1時間半待ちでようやくバスに乗り込みますが「先ほどロープウエイは整理券が発行されました」とのアナウンスに意気消沈です。ロープウエイは9分間隔のフル回転ですが、定員60名では積み残しが出ます。しらび平でも1時間強待って、千畳敷で歩き出したのが8時50分でした。ここまで混むとは予想外です。これでは本日の予定コースの消化が難しい状況です。大多数の人は駒ケ岳に向かいますが、山慣れた人だけが極楽平を目指します。



○千畳敷カールを登って行くと背中に南アルプスの展望が開けてきます。澄んだ空気に山肌の陰影がくっきりと遠望されます。正面には甲斐駒ケ岳が鋭く天を突き、仙丈ヶ岳が対照的に嫋やかな姿を見せてくれます。南アのスカイライン上には富士山の黒い影が望まれました。稜線に上がると独立峰の御嶽山が、裾を広げた優雅な台形で迎えてくれました。分岐から三ノ沢岳への道は思ったより踏まれていて、視界が良ければ何の問題もありません。



宝剣岳の山頂はちょっとした岩峰です○ここに縦走ザックをデポしようかという考えが頭を過ぎりますが・・・やはり見栄もあって却下。結果的にはこれが後半苦戦の原因となりました。太陽は容赦なく照り付けますが、風が爽やかなので軽快に脚が進みます。調子に乗っていたら気が付かないうちに、ハーハー・ゼイゼイと荒い呼吸で山頂を目指していました。



○何とか1時間10分で山頂を踏むと、周囲の景色を瞼に焼き付けながら息を整えて折り返します。しばらくは追い抜いた人たちとすれ違いますが、こんなマイナーな山にも登山者が居るのには驚かされます。何とか2時間半で往復して分岐に戻ると、宝剣岳が目の前に聳え立っています。鎖に慣れない登山者たちが難儀していました。こちらは鎖には慣れているのですが、先を急ぐあまり腕の力を利用して強引に登ったので、息が上がってしまいました(情けなぁ〜)



○宝剣岳の山頂にはオベリスクの小型の岩峰が立っています。簡単な岩登りですが山頂に立った時の高度感はたまりません。ところが下ろうと思って伸ばしたつま先が岩に触りません。どうにも躊躇いたします。38年前には霙混じりの悪天候のなかを軽々と攀じ登っていますが、下りで怖かった記憶はありません・・・『嗚呼、歳は取りたくないものだ!』



ガスが晴れて馬の背から将棊頭山が望まれる○宝剣小屋まで下ると人が溢れています。ここから駒ケ岳まではメインルートです。子供つれのファミリー登山や山ガールさんたちが闊歩しています。中岳を越えると最後の登りですが、脚が上がりませんから一服して行きましょう。ようやく辿りついた駒ケ岳山頂はガスで展望は半分でした。気温は平年より高いのですが、ガスで陽が陰ると夏服では寒くなりました。長休みせず身体が冷えないうちに出発です。



○こちらの馬の背コースには誰もいません。しばらくはガスの岩稜地帯をゆっくりと下ります。やがてガスから抜けると正面に緑の将棊頭山が望まれます。数人の登山者とすれ違っただけの静かなコースでした。ここが「聖職の碑」(大正2年の学童登山で校長以下11名が犠牲になった遭難事件で新田次郎が小説化)の舞台となった場所とは思えません。大きな遭難記念碑を通過すると将棊頭山分岐です。山頂から駒ケ岳方面を振り返ると、宝剣岳・中岳・駒ケ岳が続いています。



「聖職の碑」の遭難記念碑○今日の宿は西駒山荘です。この小屋の宿泊設備は半分が古い石室です。「聖職の碑」の遭難事件を契機に2年後に建てられた避難小屋が使われています。もう築後97年になる古色蒼然たる年代物です。流石に来年は建て替えるようですが、石室部分は歴史的記念物として残るようです。この辺りは風の通り道で、夜中には屋根のトタンを揺るがす強風が吹いていました。



将棊頭山を背景に一世紀の長きに渡り風雪に耐えた西駒山荘の石室○この小屋は駒ケ岳の東側にあるのになぜ西駒山荘なのでしょうか?小屋の兄ちゃんに疑問をぶつけたところ「伊那谷から見ると東西の駒ケ岳を東駒(甲斐駒ケ岳)と西駒(木曽駒ケ岳)と呼んでいたそうです」まさに西駒にある山小屋という意味だったのでした。そういえば何処かで聞いたような気もします。



○翌朝はガスで風が強い。権現づるねと呼ばれる伊那スキーリゾートへの道は、長くて通る人は稀です。20分ぐらいの長尾根分岐までは草が刈ってありましたが、その先は藪が被ります。ここのコースタイムは長いのですが、実際に歩いてみると驚くほど短時間で下れました。始めの30分で1時間掛かる2467mの三角点まで来てしまいました。



○板沢の頭から権現山にかけては登山道に笹が被って道が見えません。そのため脛に枝が当たり、青タンの痣が出来てしまいました。権現山から先は良い道となり整備されています。ここで大粒の雨が落ちて来ましたが、少し前の笹原だったらびしょ濡れになるところでした。登山口からは舗装された林道をスキー場まで下ります。実った稲穂が光り輝く伊那盆地が眼下に広がっています。それにしても早く下りて来ました。特別に駆け下りた訳でもなく、スポドリ飲んで気合を入れただけですが?(5時間55分=>3時間)



○炎天下の舗装道路を半時間かけてJRの下島駅まで下ります。30分ほど蒸し風呂の待合室で電車を待って駒ヶ根に向かいます。乗降客は隊長だけの時間が止まったようなローカル駅でした。ちょうど11時のバスが発車します。これから登る登山客は2名だけとは、昨日の早朝とは大違いです(それでも菅の台には1台分のお客がいました)



○車を回収したら混雑を避けるために即離脱いたします。それでも中央道は韮崎辺りから渋滞が始まり、往きの倍の6時間を掛けて帰宅いたしました(3連休だから仕方がありませんね)今回はお手軽に高山気分が味わえる木曽駒ケ岳のはずでしたが、予想外の混雑でなかなか問屋は卸してくれませんでした。それでも甘いコースタイムに救われて、周辺の山々を巡るという初期の目的を果たすことが出来ました。加えて権現づるねルートでは、誰にも会わない静かな山旅を楽しむことができました。



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