鉄砲洲富士

本殿の右奥には素敵な富士塚があった


【行程】 2/23(火)晴れ[八丁堀12:25−鉄砲洲稲荷神社12:31−E12:32−鉄砲洲富士12:33−E12:34−築地12:45]
【メンバー】 隊長



鉄砲洲富士(てっぽうすふじ)
マンションに囲まれた鉄砲洲稲荷神社 ○昨日までの寒さが嘘のような陽気に誘われて、昼食後の散歩に出掛けます。会社の近くに歴史のある富士塚があるとの情報で、その機会を狙っていたところです。八丁堀駅から南東に5分ほどで鉄砲洲です。児童公園の北側にひっそりと土塀に囲まれた鉄砲洲稲荷神社があります。


○こんなところに富士塚があるのでしょうか?半信半疑で正門から境内に入ります。小さいけれど立派な本堂には参拝者が何人か訪れていますし、右手の社務所には3人もの神官が控え結構繁盛しているようです。どうやら右手奥に富士塚があるようです「浅間神社」の看板に導かれて奥に進むと、数メートルの高さの溶岩で造られた富士塚が現われました。


江戸名所図会(湊稲荷社)に描かれた鉄砲洲富士荷神社○石の鳥居を潜り、歴史を感じさせる石版が所狭しと並ぶなか、急な山道を辿り狭い山頂に立ちます。他に登山者も無く山頂を独り占めし、薄い空気を深呼吸いたします。背後にはマンションの壁が迫り情けない風情ですが、広重の浮世絵では本物の富士山が望まれたようです(もっとも当時は現在地より100mほど北側にあったようですが)狭くてかなり急な道ですから、下りは足下に注意しましょう。

○鉄砲洲といえば福沢諭吉が慶應義塾を開いた場所です(現在の明石町)文明開化と同時代にこの富士塚も賑わっていたのかと思うと、何だか不思議な気がいたします。八丁堀周辺は街並みに江戸情緒が色濃く残りますが、こんな近くに歴史を感じさせる富士塚があるとは、まさに灯台元暗しでした。暖かな陽射しに誘われて昼の散歩に来てしまいましたが、思わぬ収穫に頬の緩む隊長でした。



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