駒ケ岳

* 禁断の山 *

馬ノ背から剣ヶ峰


【行程】 4/28(日)快晴 [札幌7:00=(スーパー北斗2号)=大沼公園9:49=(タクシー1900円)=銚子登山口10:00−三合目10:47−七合目11:32−馬ノ背12:05/12:15−剣ヶ峰12:50−馬ノ背13:30/13:40−三合目14:28−銚子登山口15:08−流山温泉15:50/16:00=(バス)=大沼公園16:15/16:32=(北斗15号)=札幌19:54]
【メンバー】 隊長


別荘地から駒ケ岳を正面に見る ○噴火から4年も経つのに未だに登山禁止が解かれない不遇の山に調査登山のメスが入ります、場合によっては生きて戻れないかも知れない・・大沼公園からタクシーに乗りますが「登山は一応禁止だけど・・」このニュアンスでは普通に登っていそうです。しかし車は大沼湖畔の銚子登山口まで、期待していた六合目ではありませんでした(標高差350m損した)
 
○山麓の高原にある広大な別荘地帯を登ります、進入禁止の別荘は人通りも絶え静寂が辺りを包み込みます。『やばい』前方から巡回車が・・視線を外し黙々とすれ違います。三合目から山道となり、ようやく安心して登り始めます。山頂まで2km辺りから禿山となり後ろから太陽が容赦なく降り注ぎます『誰だいアイゼン、スパッツの雪山装備は、雪のかけらも見えないじゃありませんか』

○ブル道が馬ノ背まで一直線に続きます、次第に急になりますが富士山でいえば七合目ぐらいの傾斜で山頂です(この上は噴火で吹き飛ばされたのでしょうか)山頂は平らな火口原の一角でわずかに噴煙を上げる火口の向うには赤茶けた砂原岳が望まれます。西方には剣ヶ峰が真っ青な空に黒々と浮かび上がり、振り返れば新緑の中に大沼が輝いています。

火口原には新しい噴火口が口を開ける(道は真中でプッツン)○折角だから縦走しようと火口原を北に向かいますが砂原の道は真中でプッツン、新しい噴火口に遮られて進むことができません。仕方が無いので剣ヶ峰を目指しますが亀裂が縦横に走り危なくて火口原は歩けません(しかし歩いてしまいました)しだいに傾斜は急になり上から圧し掛かるように岩峰が聳え立ちます、ザックをデポして空身で挑戦しましょう。

○ザレた踏跡を斜めに登って参りますと行く手を遮る雪渓が!「なんのこっちゃ、雪なんて影も形もなかったのに」アイゼンは150m下に置いてきてしまいました、幅はわずか15mですし気温も高いのでキックステップで一歩二歩と進みますが、意外に硬い雪と急な斜面のトラバースに急速に恐怖心が芽生えてまいります。仕方が無いので雪渓の下まで大きく迂回します。

○雪渓を越えると踏跡は途切れます、浮石の多いルンゼを直登しますがあまりの急傾斜に果たして下れるのか少々不安になります。最後は右に回ってなんとか稜線に辿りつきました、向こう側の下から吹き上げる風が爽やかな岩稜です。ホシガラスが北峰ピークから闖入者を威嚇してきました、稜線上には微かな踏跡がありましたので北峰はなんなく征服です。ドーム型の中央峰が最高峰のようですのでそちらに向かいます。

登山者を拒む最高峰(北峰から) ○高度感溢れるナイフリッジを南に進みますが西側はザレた傾斜面で東側は岩の壁です。一度西側を巻きコルから登り返しますが、手前のピークからは東側のトラバースです。切れ落ちた崖下を覗き込むと急速に萎える隊長の闘志、技術的にはそれ程難しい場所ではないのですが足りないものが一つある、私に勇気をください!

○あと10mが越えられません、ピークからは先ほど蹴散らしたホシガラスが「アホーッ」と盛んに兆発してきますが、隊長はこの誘いに乗らずに最高峰を目の前にして涙を飲んだのでした。やはり下りは登りより時間が掛かりました、谷底へ真っ逆さまのルンゼを下りますが浮石を避けようにも、どこもかしこも浮石だらけ、慎重に下ります。

大沼から駒ケ岳を望む(2002.10.13) ○下りは別の道と思ったのですが赤井川への道は六合目から車道を延々と歩くことになるのが山頂から全部見えましたので登ってきた道を戻ります。三合目を過ぎ別荘地の中で登ってくる4人組に会います「上は寒いですか」「いえいえ暑いぐらい」でも今から登ったら山頂は4時過ぎですね、寒いかも。やっぱり登る人はいたんですね。

○登山口からは大沼を半周して新しく出来た流山温泉に向かいますが、長い舗装道路歩きで足の裏には豆が豊作です。広大な台地の上に聳える駒ケ岳の勇姿に暫し時を忘れます、山頂の緩やかな曲線のシルエットが左のピークに収斂し一際高く天を突くオベリスクが印象的です。あそこまで登ってきたかと満足感に浸る隊長でした。時間が無いので温泉はパス、無料バスで大沼公園まで帰ります(お客は隊長だけ)



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