岐阜低山四連発

喪山・丸山・勝山・石山

東側から見た丸山


【行程】 12/28(金)曇りのち晴れ [新大阪5:26=(JR)=垂井7:57−S8:15−喪山8:16−S8:18−S8:28−丸山8:29−S8:30−S9:11−勝山9:15−SE安楽寺9:20−美濃赤坂9:27/9:35=(JR)=那加10:28=(タクシー)=SE10:36−E10:44−石山10:47−E10:50=(タクシー)=那加11:00=(JR)=>静岡県へ]*登山口の方位
【メンバー】 隊長(単独)

【喪山】もやま(54.0M)
北側から喪山を望む○雨も上がり関ヶ原の朝は雪を被った高い山々に囲まれ清々しい限りです、垂井の駅から北に歩き始めます。住宅街の後ろにこんもりとした緑が望まれました、麓からは歩道が山頂に向かい続いています(助かった、濡れた藪の通過はご勘弁)山名のとおり頂上には墓石が並んでいました、皆様方のご冥福と本日の旅の無事を祈り山を下ります。




ゾロ目の山シリーズですって! 【丸山】まるやま(55.0M)
○喪山の北0.5Kの田圃の真ん中にもっこりとした丸山が見えます、近づくと山頂までの道はありませんが下草の藪は無いのでなんとか登れそうです。思い切って林の中に突っ込み山頂を目指します、山頂は木々に囲まれ展望はありません。ところが木に何か札が下がっています『ゾロ目の山シリーズ』ですって、隊長はぶっ飛びました。

○隊長も普通ではありませんが(ほんまに、最近はMMLに合わないのではと悩んでいます)こんな山に足跡を残す変人がいたなんて世の中広いもんです。隊長の奇人度6.2変態係数4.6ですが、この人はそれぞれ6.75.9と思われ、かなりマニアックな臭いがいたします、是非とも一度お話を伺いたいものです。


【勝山】かつやま(52.6M)
東の登り口「安楽寺」美濃赤坂から勝山○丸山からは東へ4K,美濃国分寺跡を過ぎJRを潜ると前方にのっぺりとした山が姿を現します。南側に墓地が中腹までありますのでここを登ります、やがて寺からの道を合わせ頂に至ります。山頂には展望台があり関ヶ原方面が一望のもとです、徳川家康が馬印を置いた所だそうです。

○三角点を求めて周囲を探しますがどこにも見当たりません、皇太子が訪れた記念碑が特等席を占めていました。下りは東方の寺に寄ります「安楽寺」ですって、少ない賽銭で安楽に死ねるなら安いものです、お参りをして行くことにいたします。




【石山】いしやま(47.0M)岐阜県第一位
予想外の岩稜の痩せ尾根縦走○JRを乗り継いで那加で降ります、効率良く回るために車を考えますが駅前に姿はありません、待つ事1分。石山の南東で降り南側から登山道を探しながら北側まで回り込みます、時間が無いので気がきではありません、地図を片手に早足で歩いていますと後ろから声が掛かります「どこ行くんだぁ」「石山です」「したらあの先に道がある」

石山の南側には学校が並ぶ○道はありましたが学校関係者以外立入禁止です、先に入口はないかウロウロ、空しく時間が経ってゆきます。そこへ先ほどのオジサンが車で登場「乗んな」東側の分かり易い登山道まで乗せてもらいました「ありがとうございました」着いた所は最初の所からほんのわずかでした、道を求めて山裾を一周してしまいました(時間が無いのになさけなぁ)

○遊歩道はピークへ一直線、上には記念碑が立ち女生徒二人が話をしています『やれやれホッと一安心』ところが西にもっと高いピークが認められます、ここまで来たら是非登っておきましょう。しかしこんな低山には稀な岩稜の痩尾根です、思わぬ展開に気分は高揚しアドレナリンが溢れる隊長でした。岩を伝い辿り着けば・・なんたることでしょう、時間が無いというのに最高峰はさらに先です、偽ピークまで用意され楽しませてくれる山でした。


2001年の記録へ