富士山(宝永山)

お中道から宝永山を望む


【行程】 6/23(土)曇りのち霧 [青葉IC23:00=(東名)=御殿場IC23:48=]
6/24(日)嵐のち快晴 [=富士宮口新5合目1:00/4:40−7合目5:45−8合目6:56/11:10−新6合目12:20−宝永火口12:35−宝永山13:25−宝永火口13:44/14:00−新5合目14:30/14:50==御殿場IC15:45=(東名)=青葉IC16:55]
【メンバー】 隊長、イルカ少年

○南海の孤島から来た13才の少年とパーティを組んだ隊長、山開き前の富士山に挑戦するにはちと荷が重過ぎました。真夜中の富士スカイラインはカーブを描きながら次第に高度を稼いでゆきます、乳白色の霧は白さを増しねっとりと車の回りに纏わりつきます。新5合目の駐車場は6割ぐらいの入りです、早速仮眠態勢に入りますが「間違えた−」短パンにTシャツとは・・寒さで目がさめ慌てて冷え切った身体をセーターに包みます。それにしても物凄い風です、車がグラグラ揺れて駐車位置からズレそうです。

○明るくなってきたので嵐のなかを無謀隊長は無知な少年を伴い軽装備で登り始めます、6合目を過ぎた辺りから続々と引き返してくる登山者とすれ違います。隊長の脳裏に不安が過ぎりますが「行けるところまで行こう」とお気軽に声を掛け進みます、幸い少年の脚はしっかりとしているようです。

8合目から山頂方向はガスの中
○7合目を過ぎると南風がまともに前方から当たり軽量の少年は吹き飛ばされそうです。雨だけでなく砂粒が混じった強風が登山隊に襲い掛かります。「こりゃたまらん」8合目の避難小屋に逃げ込み、ここで天候の回復を待ちましょう。最初は登山隊だけでしたがだんだん人が増えてきます。そこへ山頂からのパーティが息も絶え絶えに到着です、昨夜はテントが飛ばされ測候所に避難したパーティがあったようです。8合目の鳥居の上では激しい風雨に暫し行く手を阻まれ、軽量女性1名をザイルに結びつけ引きずるように下りてきたそうです。女性の顔は蒼白で全身の震えが止まりません、水浸しのテントで一睡もできなかった中年のオジサンは疲労で食欲もなく小屋の片隅にうずくまっています。フジヤマ恐るべし!

○雨は止みガスも薄くなってきましたので単独行が小屋から出て行きます、ところが数分したら引き返して来るじゃありませんか、寂しそうに小屋の前を下って行きます。今度は元気な若者達が出発します。登山隊は4時間も待ちました、しかし初めて山に登る少年を引率する隊長の責任は重大です、ここは無理をせずに引き返す勇気を示しましょう(久々に見せる隊長の良識)

ピ^ーカンの山頂にはレーダードームが輝く
○風は相変わらず強いのですが下りとなればこちらのもの、7合目を過ぎると次第に晴れあがり6合目ではピーカン状態です、山頂を振り返ればレーダードームまで見渡せます「しまった早まったか・・」少しだけ残念な気持ちです。もったいないぐらいの晴天ですし、少年にピークを極めさせたい気持ちもあったので目の前の宝永山に登ることにします。

○宝永火口からはザレて歩きにくい道を登ります、少年には1時間ぐらいと言っておいて自分では30分と読んだのですが大間違い。山のスケールを読み間違いました。隊長は最近の低山徘徊で体力が・・(情けなぁ〜)背中からジリジリと太陽が照りつけるなか火山性の土埃が強風に乗り容赦無く顔に当たります。「あと一歩だ」後ろからの風に押されるように稜線に出たとたん、突風に吹き飛ばされそうになりしゃがみこみます。後続に注意しようと振り向いたのですが遅かった、哀れ軽量少年は吹き飛ばされ溶岩台地に叩きつけられます。身体はかろうじて稜線上に止まりましたがキャップは御殿場方面に高々と舞い上がって姿を消しました。

○ゴォッーと言う音のなかを這いつくばってジリジリと稜線を進みます、次第に風は勢いを増し『サウスコルのジェットストリームはこないでっか?』標識まであと20Mですが命が惜しい、標高は十分なのでここを山頂と割り切りこわごわ戻ります。きっと富士山の頂上付近はもっと凄い風が吹いていることでしょう、やはり下山は正解でした。

○火口に下りてベンチで昼食を取りながら厳しかった山旅を少年と振り返ります。初めての山で大変な目に会ったにもかかわらず「来年も富士山にチャレンジしたい」とは健気な言葉。「君を登山隊の正式隊員に推薦しよう・・」

2001年の記録へ

百名山の記録へ