大阪低山六連発

帝塚山・聖天山・茶臼山・御勝山・真田山・宰相山

茶臼山山頂にて


【行程】 6/17(日)晴れのち曇り [二上山から==>天王寺駅前13:10=(阪堺電軌)=帝塚山三丁目13:20−帝塚山古墳13:27−帝塚山三丁目13:39=(阪堺電軌)=松虫13:48−聖天山13:56−茶臼山14:58−御勝山15:48−真田山16:42−宰相山16:55−鶴橋17:17=(地下鉄千日前線)=難波17:26]
【メンバー】 隊長(単独)

【帝塚山】てづかやま(20M)大阪第四位 (敗退の巻)
高い塀に囲まれた帝塚山
○帝塚山駅南の踏切りを渡り西に100Mで帝塚山古墳に到着です。ところが「なんのこっちゃ」正面の門には閂がかかり高〜い塀に囲まれているじゃありませんか。どこかに入口はないかと周囲の高級住宅街を一周しますが、全くつけ入る隙がありません。柵の間から未練がましく木々に覆われた山頂を望みますが、如何ともしがたく諦めるより他に道はありません(残念じゃ〜)失意の隊長は歩く気力も失せ、再び路面電車に乗って聖天山を目指すのでした。





お百度石
【聖天山】しょうてんやま(14M)大阪第三位
聖天山の山頂
○聖天山(正圓寺)の敷地に入ると何やら異様な雰囲気です、緑深い境内はホームレスの巣窟と成り果て異臭さえ漂ってきます。なんとか本殿に辿りつきますと一段高いところにある標柱が目につきます。山名標識かと思い喜び勇んで近づきますと、なんと『お百度石』でした。仕方がないのでこれを拝み次へ進みます。



 


【茶臼山】ちゃうすやま(26M)大阪第五位
池の向うに茶臼山
○天王寺駅前に広がる天王寺公園は人ごみで騒然としています、訳がわからず人に続いて歩いて行きますと前方から大音響が・・金網で公園から隔離された通路には所狭しと不法占拠のカラオケ屋が陣取り下手な歌を響き渡らせています。なんたる迷惑!しかしジジババが楽しそうに群がっているじゃありませんか。ふと見上げた視界には聳え立つ通天閣が「そうかっ!」ここはジャリンコチエの故郷だったんだ。わかってしまえば当たり前『郷に入っては郷に従え』と異国情緒を楽しむ余裕さえ生まれるのでした。

○美術館前から喧騒を離れて静かな庭園に入場します(入場料150円)池を挟んで緑濃いこんもりとした森が目指す茶臼山のようです。橋を渡り麓から直登です、最後は緩い傾斜になって山頂広場に到着しました。生憎木々に囲まれ展望は無く山頂標識もありませんが、静かな山の雰囲気を楽しむことができました。



【御勝山】おかちやま(14M)大阪第二位:徳川秀忠の陣所=大阪冬の陣
御勝山
御勝山山頂付近○天王寺公園の北側出口から四天王寺を横断して東へと向かいます。子供たちが球技をしている小公園の隣に高い塀に囲まれた小高い丘がありました。「嗚呼、またしても敗退か?」隊長は諦めきれずにしぶとく周囲を巡りますと『天は見捨てず・・柵の隙間を発見』ちょっと失礼してピークを踏んで参りました(良い子の皆さんは真似しないでね)




【真田山】さなだやま(15M)地図に山名記載無し:真田幸村の出城=真田丸
フラットな真田山『ピークはどこじゃぁ〜』
○鶴橋駅を通過した頃には酷使した脚は棒のようになり、両方ともマメだらけの悲惨な状態でした。真田山公園はすぐにわかりましたが、台地の中央には野球場ができ北側には大きな市民センターが建ち、いったいどこがピークなのか不明です。痛む足を引きずりながら右往左往しますが真田幸村の影も形もございません。公園事務所で聞いたら「そりゃあんた宰相山でっせ」「それはいったいどこでっか?」






【宰相山】さいしょうやま(15M)地図に山名記載無し:加賀宰相前田家の陣屋
宰相山
黒光りする真田幸村像○真田山から北に転進した登山隊はようやく宰相山で真田幸村に会うことができました。遅れて来た悲劇の戦国武将は黒光りする銅像となって隊長の前に現れたのでした。おまけに大阪城に続く抜け穴まであって気分は一気に『大阪夏の陣』です。武運つたなく敗れ去った英雄を偲びつつ山を後にいたします・・それにしても足が痛い。





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