キナバル山

(4095.2M)

コタキナバルからキナバル山

   4/29(土)羽田=関空
   4/30(日)関空=コタキナバル(市内見物)
   5/1 (月)コタキナバル=サンダカン(
オランウータン見物
   5/2 (火)コタキナバル=キナバル公園
   5/3 (水)PHQ=ラバンラタ小屋
   5/4 (木)小屋=キナバル山=PHQ=コタキナバル
   5/5 (金)
リゾートライフ
   5/6 (土)
SLツアー
   5/7 (日)コタキナバル=関空=新大阪=東京


【行程】 5/2(火)晴れ[コタキナバル8:45=(車)=PHQ11:45/14:25−(散策)−15:45TBC(泊り)]
5/3(水)
晴れのち曇り[PHQ8:20=(車)=ゲート8:30−2Km9:43−ラヤンラヤン11:17/11:55−5Km13:00−ラバンラタ小屋14:10(泊り)]
5/4(木)
快晴のち雨[小屋2:55−サヤサヤ小屋4:25−キナバル山5:58/6:30−ラバンラタ8:18/9:30−ラヤンラヤン10:49−ゲート13:02/13:30=(車)=13:40/14:26=PHQ14:35/15:00=コタキナバル14:40]
【メンバー】 隊長、おじさん4、おばさん1、ヤングマン4、ガイド2

○嗚呼!遂に隊長も海外へと飛翔することになりました。憧れのヒマラヤトレッキングはお預けとなってしまいましたが、東南アジアの最高峰ボルネオのキナバル山に登ることになりました。相変わらずバタバタでスケジュールが決まったのは出発まで2週間を切っていました。情報不足でしたがこんな時に心強い味方はMMLです、西村さんのHPを参考にさせていただきました。

○出発直前にボルネオのシバダン島で人質騒ぎがあり旅行の実施が危ぶまれましたが、現地はいたってノンビリと平和で何の心配もいりませんでした。もっとも事件の最中にノンキな日本人が多数チャーター便で押しかけたため到着したとたんにテレビ局の取材に会ってしまいました。

PHQから夕陽に染まるキナバル山を仰ぐ
○2日間は市内見学やオランウータン見物にあて、3日目から山に向かいます。コタキナバルから3時間でキナバル公園に到着です、ここで植物園を見たり散策したりスライドを鑑賞します、本日の宿はツインベッドキャビンです。夕方から天気が良くなり宿舎の前からキナバル山の荒々しい岩肌が眺められます。『本当にあんな所に登れるのだろうか?』大変な山に来てしまいました、富士山でさえ高山病で頭が痛かったのに、果して4100Mに到達できるのでしょうか?(あれこれ心配の種は尽きません)

○臨時登山隊は総勢10名です、これに現地のガイドが2名付きます(8名までは1名)PHQ(公園管理事務所)に荷物を預け車でゲートまで移動して、いよいよ登山開始です(標高1860M)ジャングルのなかの道は良く整備されていて、屋久島のような雰囲気でした。3000Mぐらいまで森林限界がありましてその上が岩山になります、まるで南アルプスの上に御嶽が載っているような感じです(気持ワル〜ぃ)

巨大ウツボカズラ
○500M毎に休憩所がありトイレと水場がありますのでゆっくりと休み休み登れます。ところが何をそんなに急ぐのか?隊長は早くもお疲れでっせ。途中ではシャクナゲやランやウツボカズラなどの珍しい花が盛りだくさんで歩いていても飽きません。中でも30Cmはあろうかという巨大ウツボカズラは一見の価値ありです。バラバラ登山隊でしたが日本の山で鍛え抜いた??皆さんの脚はしっかりと南の大地を捉えています。我々のガイドのシンディ君は若いが経験豊富で体力抜群です、日本語は通じませんがノーポロブレム。(スキヤキソングを練習中)

○ラバンラタ小屋はレストラン併設で白人主体に混雑していました、カナダのお兄さんが楓のバッチをくれたのでお返しにMMLのワッペンをあげる隊長でした。地蔵岳の説明に冷や汗を流しながら思わぬ国際交流でした。ベランダからは山影に沈む夕日が眺められ、明朝の好天が期待できそうです。

○2時に起床、軽くお腹に入れて3時前に出発します、山頂でご来光を迎えるためです。真っ暗な中をヘッドランプの明かりを頼りに黙々と山頂を目指します。途中から梯子が現われ八本歯のコルのような感じでした、やがて一枚岩の上をロープに導かれてグングン登ります。左手にセントジョンピークが近づくと目指すローズピークは右奥です、最後の力を振り絞り岩に向かいます。一心不乱に登りますと、いつしか隊長は羽生モードになってしまい、さっきまで後ろに付いてきていた人々は遥か後方です。薄い空気のせいでしょうか、ハーハーゼーゼー隊長の心臓はバクバクです。(うーん、頭も少々痛い!)

ピークまでの岩場とロープ○お陰でギリギリ日の出に間に合いました、薄茜色に染まった東の空からご来光です(雲の所為でもうひとつでした)さすがに4100Mの独立峰です、周囲の展望は360度遮るものはありません。未知の高度に対する不安が一杯の登山でしたので感激のピークでした。寒いなか多数の人々でごった返す山頂に別れを告げて明るくなった岩場を下ります、周囲が見えるようになると、かなり急な一枚岩の傾斜を登ってきたことがわかります。

登頂を祝う隊長とシンディ○ラバンラタで朝食を取ってからゆっくりと下山します、最後の1時間は雨に降られてズブ濡れになりましたが南の島の雨はまた乙なものでした。登頂証明書は普通のもの(2RM)とミレニアムバージョン(10RM)の2枚をゲット。臨時登山隊は解散となり2名はその足で日本への帰路につきましたが、残りはボルネオのリゾートライフを満喫してから帰りました。最後に飛行機が半日遅れるというハプニングもありましたが、なんとか関空に着き東京までの長い旅を経て帰宅しました。

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