南西諸島低山徘徊

宮城山・城岳

里久浜と宮城山


【行程】 1/22(土)快晴[たまプラーザ6:05=(バス)=羽田6:55/8:10=(JAL1863)=鹿児島10:15/10:50=(JAL3793)=徳之島11:40/11:55=(バス)=東天城中前12:16−NW(*)12:24−宮城山12:29/12:37−NW12:39−東天城中前12:46/13:57=(バス)=亀津中央14:22(泊り)]
1/23(日)曇り時々雨[亀津中央8:50−亀徳新港9:02/10:18=(フェリー)=那覇港20:05(泊り)]
1/24(月)快晴[松山8:45−SE9:11−城岳9:14/9:31−N9:32−県庁9:40(市内観光:泊り)]
1/25(火)晴のち曇り[(南部戦跡観光)那覇空港19:35=(JAL1926)=羽田21:36/22:00=(バス)=たまプラーザ22:42]*山頂からの方位
【メンバー】 隊長


【宮城山】みやぐすく(58.4m)鹿児島県最低峰
○日本全国を股にかけてきた低山徘徊もついに最終コーナーとなりました。残された鹿児島県と沖縄県の低山は南西諸島にありますので、バースデイ割引を使って遠征いたします。まずは徳之島に向いますが直行便がありません、鹿児島で1日2便の徳之島行きに乗り継ぎます(2区間となり財布にはちと痛い)

○飛行機から降りると眩しい日差しに吃驚、鹿児島までは肌寒かった気候もここは別天地です早速フリースを脱ぎました。バスの運転手が気を利かせたつもりで一つ先のバス停まで運ばれてしまいました「この砂浜からの景色が良いのだ」「・・・なんのこっちゃ?」えっちら坂の上まで歩いて戻ります(南風園前で降りると登山口は目の前です)

紅いハイビスカスに囲まれ南国ムード○何が恐いといってハブの恐怖に勝るものはありません、北海道のヒグマや千葉のマムシなど数々の危機を切り抜けてきた隊長も今度は本当に困りました。スパッツ、手袋、メガネの重装備に身を固め、念のために竹棒で進行方向の地面をバシバシと叩き音をたてながら登ります。幸い参道は草が刈ってありますからハブが隠れている心配は少なそうです、でも道の脇に潜んでいるかも知れずビクビクしながらの前進です。

○菅原神社と書かれた鳥居を潜り、滑り易い土の路をロープに頼りながら登ります、やがて傾斜が緩くなり左に曲ると正面に明るい台地が現れました。山頂はお堂の建っていた跡があり、北側は展望が優れ眼下には花徳の砂浜が広がっています。椰子の木やハイビスカスの紅い花に囲まれ、眩しい白さの砂浜に暖流の青緑の海が打ちつける様は日本離れした光景でした。

草むらに三角点を発見○三角点は参道を少し戻った地点から脇道に入ります、こちらは草ぼうぼうなのでかなり躊躇しますが慎重に踏み込みます。竹棒で草を分けながら必死の思いで進むと草に埋もれた新しい三角点を発見しました。下りで後ろの茂みが「ガサッ」といった時には心臓が止まる思いでした、恐いもの見たさで振り向きますが足は本能のおもむくままに一目散に下ります。

○里久浜からの宮城山はなかなか堂々として立派な山容でした。足もとに寄せては返す白波は郷愁を呼び起こし瞑想の世界へと誘います。急ぐ旅ではありません、バスを一本遅らせてノンビリしましょう。気持ちの良い浜辺ですがスマトラ沖地震の津波を考えると複雑な心境です、被害者のご冥福を祈りつつ浜を後にいたします。



【城岳】じょうがく(33.8m)沖縄県最低峰
西側から展望台を望む ○いよいよ最後の低山に挑戦です。昨日は低気圧の影響で大荒れの東シナ海を一日掛かりで南下しました。フェリーは大波に木の葉のように翻弄され生きた心地がいたしませんでした、難行苦行の末に辿り着いた那覇の港はネオン瞬き極楽じゃぁ(つくづく鑑真は偉い!)

○清々しい朝を迎え南国の香りが濃い町並みを抜けて緑の丘を目指します。東側から公園に入り北上します、山頂は大きな広場になっていて北西の角には市街地が一望できる展望台がありました。正面には巨大な県庁舎が聳え立ち背後には真っ青な海が大きく広がっています。まだ9時なのにこの日差し、本日は21度まで上がるそうです。

移設された三角点○さて三角点は何処?地図では公園の南西ですが探しても見つかりません。しかし今日は時間がたっぷりあります、広い山頂の隅から隅まで徹底的に捜索しましょう。なかなか見つからず諦めて下ろうとした瞬間に白い杭が視界の片隅を過ぎります。展望台の脇に真新しい三角点がありました、どうやら最近移設されたようです。

○これで2万5000分の1地形図に載っている低山149座を全て制覇いたしました(事情により山頂を踏んでいない山もありますが)思えば4年半の間かくも馬鹿馬鹿しいことに時間とお金を掛けたものです。空前絶後のプロジェクトでした、恐らく本邦初の快挙でありましょう(続く人は恐らく居ないでしょうが)隊長は大いなる自己満足に浸りながら山を下りました。



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