松山低山三連発
港山・明神丘・忽那山
忽那山は最悪の藪山だった
【行程】 12/11(火)晴れ [松山市5:50=(伊予鉄)=港山6:06−SE*6:16−港山6:21−観月山石雲寺6:25−NE6:34−三津6:53=(タクシー)=NW6:58−明神丘7:02−NW7:06==SE7:15−忽那山7:35−N7:46==山西7:55=(伊予鉄)=松山市8:07]*登山口の方位 【メンバー】 隊長(単独)
【港山】みなとやま(41.9M)愛媛県第一位
○いよいよ愛媛県に参りました、冬型の気圧配置は早朝の冷え込みをもたらし、少し薄着の隊長は寒いのなんの(フリースは嵩張るからパスしたのが浅はかでした)始発電車は数人の乗客を乗せてまだ真っ暗な街を出ます。
○駅から降りると南に細い道を辿ります、次第に街灯も途切れ小型マグライトだけが頼りです。突き当たりに渡し舟の船着場がありましたが7時始発では利用価値はありません。大きく山裾を迂回して登山口に出ます、観月山公園入口の看板が目印です。遊歩道となった山道には街灯がありますが灯りはついていません、足下を確認しながら一歩一歩登りますとやがて山頂の広場に着きました。
○こんな山頂から月を見たらさぞかし風流なことでしょう、見上げれば細〜い月が義理で顔を出しているだけでした。小さな社の前の地面には小さい石の出っ張りが・・「もしや貴方は三角点さんじゃありませんか?」嬉しい出会いに思わずニンマリ。下りは観月山石雲寺に立ち寄ります、立派な本堂に回廊まで付いていました、麓にも門と庫裏があり結構大きなお寺でした。
【明神丘】みょうじんおか(25.5M)山名表示なし
○麓の神社から民家の脇を通り登ります、やがて墓地が一面に並ぶ丘にでます。瀬戸内海を望む一画には『藤原純友館跡』の石碑がありました、丘全体が墓地で立ち木はありませんので丸坊主です。あまりの惨状に声を失った隊長は山を下ります。
【忽那山】くつなやま(49.0M)愛媛県第二位
○三津浜の南にあるコンビナートの真ん中に海に突き出るように忽那山は聳え立っていました、文字通り急な斜面を持つ円錐形の山です。いったいどこから取り付けば良いのでしょうか?弱点を求めて北から南まで東側を半周しますが弱そうなところは見当たりません(西側は海に接しています)
○南の崖から登り始めますが崩れやすい急な斜面は高度を上げるに従い傾斜を増します、おまけにびっしりと茨のような薮に覆われています。その秀麗な山容からは想像もできない最悪の薮山だったのです。イボイボ軍手を着け覚悟を決めて薮に突入します、中腹に生える松の木は半分枯れたようで掴んでもポッキリと折れ頼りになりません、必死に草を掴みながらジリジリと進みます。尾根筋に出ればなんとかなるかと思ったのは甘い考えでした、尾根の上をびっしりと茨が覆い上に乗っても沈まないほ どです「こりゃまいった」まさに進退極まれり。
○下を見ないようにしてボロボロの壁をトラバースします「棘がなんぼのもんじゃい」もう手は血だらけですが構っている余裕はございません。風除けに着たカッパはベリベリと情けない音を立てながらオシャカへの道を一直線『なんとか山頂に行かなければ』気ばかり焦りますが遅々として進まず体力だけが消耗してゆきます。それでも気力だけは尽きることなく根性の限りを尽くして藪に立ち向かいました。
○無我夢中の悪戦苦闘は20分で終止符をうちました、隊長は遂に山頂に立ちました(ここもびっしりと一面の薮でしたので、正確には薮の上に立ったのです)初めて見る西側の海原に寒気さえ感じるような恐ろしい場所でした。長居は無用です、下りは少しでも傾斜が緩そうな北側に下りることにします。登りも難しかったが下りも易しくはありません、身も心もボロボロになりながらようやく水門の脇に降り立ちました。史上最悪の薮山は最難関の低山として永く心に残ることでしょう。
坊ちゃんの湯と坊ちゃん列車